子どもの名前
2015.11.12
その時々の、人気の名前
子どもの名づけは家族の重大事。お宅では誰がどのように考えましたか?
昭和初期までは子どもの名前は家長がつけるものでした。子どもの父親が家長とは限りません。祖父や祖母、場合によっては曽祖父、曾祖母、大叔父など、とにかくその家でいちばん発言権をもつ人が家長です。
その、家長が「名づけ親」となり、子どもの名前を書いた奉書紙を白木の台にのせて、鯛など尾頭付きの魚を添えて贈りました。この行事は「お七夜」といって、誕生した日から7日目の夜に行われていました。
昨今、お七夜は簡略化されており、半紙もしくは市販の命名書に墨文字で子どもの名前、生年月日を書いて、神棚の近くか家の目立つ場所に貼るという形で行う家庭もあります。
そして、パパ・ママが子どもの名前を決め、じいじ・ばあばが関与することはほとんどなくなりました。
時代によって子どもの名前には流行があります。
じいじ・ばあば世代が生まれた昭和20年代は、男の子は「博」「茂」、女の子は「和子」「幸子」、昭和30年代から40年代は、男の子は「誠」、女の子は「恵子」「由美子」「久美子」が人気でした。昭和50年代は、男の子は「大輔」、女の子は「愛」がトップとなっています。
特にじいじ・ばあば世代では、女の子は「子」の止め字を使った名前が大変多かったのですが、昭和40年代から少しずつ「子」離れが始まっています。
パパ・ママ世代にあたる昭和60年代から平成一桁生まれは、男の子は「翔太」「拓哉」「健太」、女の子は「愛」「美咲」が人気でした。
キラキラネーム
日本では子どもの名前につける漢字は制限されていて、漢字の字種としては、常用漢字2136字種と人名用漢字632字種を合わせて2768字種を使うことができます。これに、ひらがな、カタカナが加わります。
命名が特に話題になったのは、平成5(1993)年の「悪魔ちゃん命名騒動」でしょう。東京都の役所に「悪魔」と命名した男児の出生届けが出され、親権の濫用を理由に不受理となりました。
ちょうどこの時期、個性的だけれど読むのが難解な名前をつける親が目立って多くなっていました。
俗に「キラキラネーム」と呼ばれていますが、こうした名前が増えたのは、平成5(1993)年に創刊されたマタニティー雑誌『たまごクラブ』の影響と言われています。
人気特集として、全国の赤ちゃんの個性的な名前を数多く紹介したのですが、これが読者の反響を呼んで、一気に広がったということです。
人気の名前は時代の空気を表しているといえますが、同じ名前の子どもがクラスに何人もいるようだと、先生もいろいろ大変ですよね。
一方、何と読むのかをそのつど教えなければいけない難しい名前も、その子が一生苦労しそう。最近では、キラキラネームであるばかりに、就職試験で不合格になるなどの笑えない事例もあったとか。
鎌倉時代の作家、吉田兼好は『徒然草』に「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。」と記しています。
名づけでは、その名前の意味、語感をよく考えた上で、将来子どもが幸せになるような名前を考えたいものです。
(参考)